桃色めがねでみた世界

私の目からみた世界や、私の感じたこと、考えたことについて、気ままに綴っていきます。

いのちが生まれるということ①


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ずいぶんと久しぶりの更新になってしまいました。更新していなかった1年ほどのあいだ何をしていたかというと、結婚、妊娠、出産という人生の節目を迎えていました。そこで今日からは、妊娠、出産、そして育児を経験するなかで感じたこと、考えたことを何回かにわけて書きたいと思います。

 

妊娠してまず驚いたのは、胎児の成長の速さです。

最初に産婦人科を受診したときには、直径1センチほどのお部屋(胎嚢)が確認できたものの、そこに住んでいるはずの赤ちゃんの姿は小さすぎて目に見えませんでした。

それが、2週間後の検診では豆粒のような赤ちゃんとその心拍が確認でき、そこからさらに2週間後には赤ちゃんが2頭身になり、それから3週間後にはもう人の形になって手足を動かしている…というように、妊娠初期の赤ちゃんはみるみるうちにその姿を変えていきました。

この頃は、人間の成長を見ているというより、ひとつの不思議な生き物の成長を見守っているようで、エコーを見るのが毎回楽しみでした。

妊娠が進むにつれ、体だけでなく行動にも成長が見られるようになり、羊水を飲む姿や、口をリズミカルに動かしておっぱいを飲む練習をする姿がエコーに映りました。

どうして、誰にも教わらないのに、おっぱいを飲む練習が必要だとわかるんだろう?どうして、産道の通り方がわかって、生まれてすぐの肺呼吸の仕方も知ってるんだろう?

…赤ちゃんは、言葉も話せないし知識も経験も少ないけれど、お腹の中にいるときから色々なことができるんだと知りました。すべて本能に基づいてやっていることなのでしょうが、本能だけでこんなにたくさんのことができるとは…。大人になるにつれて忘れていた、本能の力を思い出させてもらいました。理屈ばかりをあてにせず、もっと本能に頼ってみたほうが、色々な物事が案外うまくいくのかもしれません。

 

今日はここまでです。妊娠を通じて感じたことについてでした。次回は出産のことを書きたいと思います。

浅草で歌舞伎鑑賞

生まれて初めて歌舞伎を観に行ってきました。

浅草公会堂で上演されている、「新春浅草歌舞伎」です。

 

開場の5分後ぐらいに入場しましたが、場内はすでに大混雑。

急いでイヤホンガイドとお弁当、パンフレットを購入し、席に着きます。

 

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公演パンフレット。

今回の演目のあらすじが書かれているので、開演前に少し読んで予習をしました。

 

今回の演目は、「義経千本桜 鳥居前」と「元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿」。

歌舞伎の話し方はすごく独特で、

初心者の私には言葉の意味が理解できないところもありました。

しかしそこで活躍するのがイヤホンガイド。

会場で有料レンタルされているイヤホンですが、

これを使うと歌舞伎の進行に合わせて

各場面の解説やセリフの意味、歌舞伎の豆知識などを聞くことができるのです。

おかげで、歌舞伎の世界の奥深さも知ることができました。

たとえば、隈取や衣装の形にもさまざまな種類があって、

それぞれ意味を持っているということ。

今回登場した隈取は「火焔隈(かえんぐま)」。

めらめら燃える炎のような形をしていて、力強さを表すのだとか。

 

お話の内容も、思いがけないどんでん返しがあったり、

親子愛や武士の義をテーマにしたものだったり、心に響く内容でした。

ぜひまた観に行きたいです。

 

 

せっかく浅草まできたので浅草寺にもよりました。

 

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浅草寺仲見世通りで売っているきびだんごが大好きなのですが、

週末とあって境内全体が大混雑、きびだんご屋にも行列ができていたのであきらめました。次に歌舞伎を観に来る機会に、リベンジしたいと思います。

 

 

 

 

今年の抱負

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新年あけましておめでとうございます。

新しい1年の始まり、心機一転して元気よく駆け出したいものです。

 

昨年は、大学院を卒業し社会人になり、

新しいことが目白押しの1年でした。

毎日が新鮮で目まぐるしく、学ぶことも多かったけれど、

学生時代に比べて趣味に打ち込む時間はめっきり減りました。

 

今年は時間を上手に使って、趣味も充実した1年にしたいと思っています。

ダイビングや写真、観劇、ギターなど、

休止していた趣味を復活させる年にしたいです。

 

仕事と趣味のどちらにおいても、

自分の世界を広げていくことを常に心がけていきます。

その中で、たくさんの発見や学びを得られたらいいなと思います。

 

自分にとっても周りの人たちにとっても、

素敵な1年となりますように。

 

 

 

護国寺界隈を歩く

 

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今年の春に就職・上京してきた私ですが、

早くも半年が経ち生活にも慣れ、東京を観光する余裕もでてきました。

ところが観光をしようにも、土地勘がないのでどこへ行ったらよいやらわかりません。

そんなわけで、ガイドブックを一冊購入してみました。

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行ってみたいと思ったページには付箋をつけています。

数ある付箋ページの中から今回は、護国寺周辺エリアを散策してみることにしました。

 

散歩をより楽しむために、私は独自のルールをひとつだけ設けました。

それは、「Googleマップは使わない、見ていいのは紙の地図だけ。」というものです。

もともと地図が苦手で方向音痴の私ですが、

近頃はGoogleマップの登場により道に迷うことは少なくなりました。

とても便利でありがたいのですが、

それに頼ってばかりいては自分自身が衰えてしまいます。

そこで今日は、購入したガイドブックに載っている地図と周辺の看板だけを頼りにお散歩を遂行しました。ガイドブックを手にきょろきょろしながら歩いている私は、さぞかし田舎者に見えたことでしょう。でも周囲の景色から必死に情報を集めようとすることで、色々な発見が得られて非常に有意義でした。

今後も、Googleマップを使わないお散歩を継続してみたいと思います。

 

さて、今回の旅はJR池袋駅からスタートしました。

最初に目指したのは「威光山法明寺(いこうさん ほうみょうじ)」です。

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境内は木々や苔で覆われ、心落ち着く空間です。

桜の名所としても知られているそうなので、春にもう一度来てみたいと思います。

 

続いて、法明寺のすぐそばにある「鬼子母神堂(きしもじんどう)」へ。

鬼子母神とはインドの神様ですが、もとは人間の子どもをさらって食べる鬼女でした。ところがお釈迦様が鬼子母神の子どもを隠し、子どもを失う悲しみを鬼子母神に諭すと、彼女は泣いて改心し安産・子育ての神様になったということです。

手塚治虫の「ブラック・ジャック」にも鬼子母神にちなんだお話がでてきます。

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境内には大きなイチョウの木があります。

樹齢700年にもなるご神木で、「子授けイチョウ、子育てイチョウ」として長く親しまれてきたとのこと。どこか包容力を感じさせる、お母さんのような木です。

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鬼子母神堂を出た後は、「雑司ヶ谷霊園」へ向かいました。

著名人が数多く眠ることで知られるこの霊園に、ぜひお参りしたいお墓があったのです。それは、夏目漱石のお墓です。

私は近頃、通勤電車の中で夏目漱石の「こころ」を読んでいます。

最後まで読み終わったらこのブログにも感想を書きたいと思っていますが、

人間の本質をあぶりだすような文章に引き込まれ、夢中になって読んでいます。

霊園の中から夏目漱石のお墓を見つけるのには少し苦労しましたが、

無事たどり着いたときには本当に夏目漱石の近くにいるかのような不思議な気持ちになって、「すばらしい作品をありがとうございます。」と合掌しました。

 

その後は、最終目的地の護国寺へ向かう予定だったのですが…。

もう本堂の閉まる時間がせまっていたので、

護国寺へはまた次の機会に行くことにしました。

 

東京はとにかく大都会のイメージがありましたが、

歴史ある建物や素敵なお散歩コースにも恵まれているということがわかりました。

これからも週末には、いろいろなところを巡ってみたいと思います!

 

 

 

 

 

 

捨てたいもの

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まるで星が降っているかのような景色の中に、

透き通った体のガラスハゼ。

 

私もこんな風に透き通っていられたらな、と思います。

いつからか、私の周りには少しずつ殻ができはじめ、

それはいつの間にかどんどん分厚くなって、

本当は自分の身を守るための殻だったはずなのに、

今や足枷になっている。

破りたくてもなかなか破れない殻、

窮屈で息苦しくなってくる。

 

人はおとなになるとき、

皆このような悩みをもつものでしょうか。

 

今まで必死で蓄えてきた防具を、

取捨選択して捨てる。

そういうステージに、私はいま来ています。